入院日記

1996年4月13日 から 1996年4月23日まで、そしてその後。

4月13日(土)
 PC−VAN関係の花見、その後「ごん」と「Bird's BAR」へ行っていい気分での 自転車での帰り道、後ろから来た車に気を取られ、ハンドルを取られて よろけた先に交通標識の白いポール……。左肩から突っ込んで、 歩道に放り出される。
 肩の辺りが痛い。触っていると「ゴリッ」という音。あーあ、 こりゃ鎖骨が折れてるわなどと考えている意外に冷静な自分に驚き、 骨折の痛みから来るめまいを我慢しながらとりあえず自転車を アパートまで押して帰る。  いきなりこのまま入院になったら嫌なのでメールのチェックをし、 保険証などの入ったポーチをバックパックに入れ、歩いて済生会病院へ。 ところが、「今日は救急指定じゃないんですわ」という守衛のおっちゃんの 冷たい言葉。さすがにここから(その日の救急指定病院の)県病院まで 自力で行く気力は無かったので、守衛のおっちゃんに救急車を呼んでもらう。
 救急車に乗るのは2回目だが、どうにもバツが悪いものである。 救急隊員の質問にいろいろ答えるのが一段落したところで 「今日は出動は多いですか?」と聞いてみたが、市内の繁華街は管轄じゃ ないらしく「本署の方では酔っ払いの保護の出動があるみたいですけど、 うちはそうでもないですね」との答え。
 県病院では散々待たされて「とりあえずレントゲンを」ということで レントゲン室に行き、出来上がった写真を持ちかえってまた30分以上 待たされてやっと診察。「こりゃポッキリ折れてますね。月曜日に 近所の整形外科へ行ってください」ということで三角布を巻いてもらい、 鎮痛剤の処方を書いてもらっておしまい。何のためにここまで 来たのやらわからん診察、待ち時間も長かったしと腹を立てながら 支払いにいくと1万1千円ほどの請求。おぃおぃ、財布のなかには 1万円無いぞと思っていると「保険証は持っていませんか?」と言われて 胸をなでおろす。
 結局1,120円を払って鎮痛剤を受け取り、タクシーでアパートまで。 タクシー代1,990円。なんだったんだかなぁ……。
 さすがに疲れた。おとなしく寝ようとしたが、痛みでなかなか眠れない。 何も食べてないので鎮痛剤を飲むわけにもいかず、、、と考えている うちにうつらうつらして朝が来た。

4月14日(日)
 医療関係の会社に勤める知人の嫁さんなら休日診療をやっている ところにも詳しいだろうと電話をしてみたが、ことごとく近所じゃ ないため日曜日中の処置は諦める。上司に電話をして怪我をした事を説明し、 別の近所に住む知人に電話して「助けてくれぇ〜」。食事と自転車の処理を頼む。 この日は出かける約束があったのだったのだが、こちらにもお詫びの電話。
 昼前に知人が食糧を持って来てくれる。ついでに自転車を片づけてもらう。 感謝。皆が帰ったあと、さらに眠る。ひたすら眠い。
 午後4時過ぎに起きだして、買ってきてもらったものを食べ、 鎮痛剤を飲む。親元と知人宅数軒に電話、さらに眠る。夜中にちょっと 起きだして右手が動くのをいい事にメールの整理などをする。 結局、ほとんど一日中寝ていた。

4月15日(月)
 朝、ざっと部屋を片づけてから徒歩で済生会病院へ。とりあえず お金を下ろして、と思うと財布がない。アパートまで取りに戻り、 再度済生会病院へ。痛いのぉ、なんでこんなに歩かなきゃいかんのだと 自分のチョンボを棚上げにして文句を垂れる。
 病院まで歩いて行く途中で通勤途中の会社の人に出会う。 みな不思議そうにこちらを見ていたが、、、まぁ、これで 数日中に私の行方は皆が知る事になるだろう。
 受付を済ませ、待っていると「レントゲンを撮ってきて ください」とのことで撮影へ。2枚ほど撮影して技師さんと ちょいと話をし、さらに待合室の前で待つこと30分ほど、 途中でばーちゃんに話しかけられたのでちょっと相手をして 気を紛らわす。
 やっと呼び出されて中の待合室へ。さらにそこでもちょっと 待たされてからやっと診察室へ。
 先生は開口一番「きれいに折れてますね。早くて2ヵ月かかりますよ。」 ただしこれは切って骨に針金を入れてのことであって、ギブスとか 8の字包帯で固める温存処置では全治3ヵ月。いろいろと話した末、 切って針金を入れる処置をしてもらうことにした。ということで即日入院決定。
 その場からすぐに病室へ案内されて align=middle 入院 のための説明などをしてもらう。 手術の準備のための検査ということでさらに胸部レントゲン、心電図、 血液検査、検尿などのあと、入院準備の荷物を持って来るということで いったん外出、またアパートまで歩き。
 アパートで各所に電話、メールのチェックと「これから入院します」の メールを出す。ほかにもあちこち電話をしていると会社の知人からの電話、 なにか手伝えることは、ということだったので、冷蔵庫のなかの 残り物の処分を依頼。日持ちしそうにないナマモノや野菜を クーラーケースに入れたりして入口の近くへ。鍵は後で渡す事にした。
 下着やタオルなど必要と思われるものと読まずに積んでいた 文庫本や小説を紙袋に詰め、またまた歩いて済生会病院へ。今日、これで 病院とアパートの間を徒歩で2往復半。
 病院に戻り、着替えてベッドでする事もなくボーッとしていると、 抗生物質の拒絶反応検査ということで注射(皮内)を2本。ちょっと痛い。 ツベルクリン反応よろしく、20分後くらいに皮膚の赤変の状態を 見るとのこと。
 更に血液の凝固時間を見るということで採血が1回と、耳たぶを 軽く切って30秒ごとに濾紙を押し当てて出血が止まるまでの時間を 見るという検査もあった。結構面白い。手術をするということで検査の 数も結構なものになりそう。
  align=middle 食事は 結構いい方だと思う。が、量が少ない。まぁ、それほど体を 動かすわけでなし、平常時と同じ量を食べていたら確実に太るだろうから これはこれでいいのかもしれない。 夕方、知人一家が頼んでいた ものなどを持ってきてくれる。アパートの冷蔵庫の残り物も片づけて (持って帰って)もらった。持つべきものは遠くの血縁者より 近くの知人かも知れん。ありがたいこっちゃ。
  align=middle 「朝食は検査のため延食(8時半)」 という札を掛けられた。 裏を見ると align=middle 水・茶・たばこもいっさい駄目 と書いてある。「喉が乾くんだけど、水もダメなの?」と聞いたところ、 どうも糖分に係わる検査のようで水やお茶はOKだがジュース類は不可 とのこと。ちょっと安心。午後9時消灯、早い……。

4月16日(火)
 割合に喉が乾くのと寝返りが打てなくて腰が痛いこと、 さらにいつもに比べてあまりに早く寝たことなどでえらく早めに 目が覚めてしまった。する事もないので小説をひたすら読んでいる。 7時を回ったころ、顔を洗いにいく。片手ではかなり不自由だが、 水が溜められるしお湯も出るしでアパートでの生活よりはるかに楽。 そうこうしているうちに食事が運ばれてきたが、これは朝の採血が 終わるまでお預け。
 食事は食パン2枚とスープ、野菜のあえ物にバナナ1本。 やっぱりちょっと少ないなぁという気分……。食べたあと 食器を返してまた小説読み。10時ごろ回診、水曜日の午後に 手術をすることに決まる。もうしばらくこの生殺し状態が続くのかと おもうとちょっと気が重いが、まぁ、仕方ない。
 その後も昼まで小説を読んだりブラブラしたり。昼休みに知人が やってきて洗剤とハンガー、洗濯ハサミ、T字帯、入院申請書などを 持ってきてくれるた。
 昼食後も小説を読んだりOASYS Pocketをいじったりしていると 保険のおばちゃんから電話、3階まで上がってきて病室を探して みたが良く分からず、受付のあたりから電話をかけてきたらしい。 ベッドの空きが無かったために「リカバリールーム」というナースセンターの すぐ隣、「面会謝絶」の張り紙がしてある部屋にいたため、まさかここだとは 思わなかったとの事。保険の申請書類などを受け取り、10分ほど 話をする。
 続いて3時ごろにPC−VANの関係の知り合いの面々が登場。 やっぱり部屋の表の「面会謝絶」の貼り紙にひるんだのか、 かなりおっかなびっくりの顔でやってきた。人数が多いのでロビーの ほうに出てまた20分ほど、骨折したときの状況や部屋のことなどに ついて話をする。
 入れ替わりくらいに母親と弟がやって来た。父親が高松へ行くついでに 車で出てきたので、一緒に出て来たらしい。またロビーでいろいろな 話をして5時すぎに帰っていった。
 その後も続けて何人か知り合いがやって来る。 結局7時すぎまで 入れかわり立ちかわりの休みなしで誰かと話していたような気がする。
 辞書が死んでいたり、MS-DOSが立ち上がらなかったりで 機嫌の悪かったOASYS Pocketがこのころからなんとなくそこそこ 使える状態になってきたので、日記らしきものを付けはじめる。
  リカバリールームって事で、私の他は手術直後のばーちゃんが二人 いるのだが、この二人が内容は噛み合っていないのに声ばかりでかい 会話を延々とやっているのがうるさい。おまけに一人のほうは 導尿管を抜いてしまうということで両手をベッドに縛りつけられ ているのだが、こちらが「助けてー」なんてわけの分からん悲鳴を 上げ始めるし……。とりあえず看護婦さんを呼びにいき、ロビーへ逃亡。 知人の所へ電話をかけてから部屋に戻る。
 部屋へ帰ると、件の悲鳴を上げていたおばさんは安定剤を飲まされて いるところ。これで少しおとなしくなってくれればいいがと思いつつ 寝ようとしたのだが、案の定消灯直後に二人が大きな声で話しはじめて 寝入りばなを起こされ、その後もいつまでも話が続いている。 たまりかねて、耳栓をして寝ることにした。

4/17(WE)
 6時起床、晴れ。朝から同室の2人のわけの分からん 漫才みたいな喋りが続いている。耳栓をして寝ていたおかげで 眠れはしたけど……。
 話によると骨折して入った「たすけてー」のおばさんは 多少のボケが入っているらしい。やたらと「わたしが悪いんじゃけん」と 言っていたが、付添いの人(嫁か?)の自慢半分のような喋りを 聞いていたら、そんな卑屈な気分になるのもわかるような気もする。
 もう一人のほうは「頭にチューブ」なんて話をしていた ところからすると脳溢血か?77歳だそうだが、こちらは話すことも 言葉もしっかりしている。
 今日はなぜかおしぼりを持ってきてもらえたのでそれで顔を拭い 顔洗いは終了。昼食が抜きになるので朝食を少し時間をかけて食べ、 歯を磨きにいって、ここから先は align=middle 水すら無しの絶食
 9時ごろ、便所に行ってくれと言われる。T字帯と術中着に着替え、 体を拭いて、点滴開始。 align=middle 結構苦労して針を刺そうと してくれたのだが、結局右足ではうまくいかず、 align=middle 左足から。
 12時半ごろ、車椅子で便所へ。1時過ぎに align=middle 点滴のボトル 交換。ぶどう糖液と抗生物質。抗生物質のほうは30分あまりで終了。
 2時半にちょっと前、手術前最後の便所へ行き、術前の注射を 打ってから(これが結構痛かった)婦長さんともう一人 align=middle 若い看護婦さん に付き添われて、ベッドごと2階にある手術室へ。 手術室前で専用のストレッチャーに乗せられ、さらに奥の 「大手術室」へ。手術室内で再度手術台へ移動し、心電図モニターを 付けたり器具の準備をしたりするのをしばらく観察。
 心電図モニターは脈動が音でもモニター出来るように なっているのだが、チェックとかで体に触られたり、周りで 大きな音がしたりするたびに自分の拍動が多くなるのが わかってちょっと面白い。
 午後3時、術前処置開始。顔のあたりに術中に血が とんだりしないように顔と手術部位のあいだにカーテンをかけ、 さらに顔を紙のようなもので覆われてしまったため、 周囲の様子はほとんどわからない。X線画像をCRT上で 直視する装置もあり、これで術中の様子をずっと見ているのかと 思ったら、術前術後で骨の位置を観察しただけだった。 術前の画像は見ることが出来たけれど、術後の画像は顔全体を 覆われていたので見ることが出来ず。残念。
 3時5分ごろ、「痛かったら言ってくださいね。麻酔を追加 しますから」ということで局所麻酔を打って手術開始。 最初はチリチリという火花の飛ぶような音(電気メス?)が主、 すぐに骨を触っているような感触があり、しばらくするとゴリゴリ、 ガリガリという骨伝いに脳天まで響くような骨を削る音と、 歯医者で歯を削られるときのあの何とも言えない焦げるような 匂いがしてくる。そうかと思うと何やら器具を押し込むような ゴリゴリという感触。こんな状態が20分くらい続いたか、 途中で「イテッ」などと言うと麻酔を追加したり「痛いかも しれませんよ」とか言ってもらったりでかなり気分的には楽な 手術だったように思う。
 術前の注射(安定剤のようなものかな?)も効いていたのか、 脈拍もそれほど極端に高くなることはなかったみたい。
 最後、骨の周りを洗浄して縫合、そろそろ麻酔が切れて きたようで、時々針の刺さる感触がある。筋肉部分は糸で、 皮膚はホッチキスのようなものでパチパチッと。この後、 確認のためのレントゲンを2枚撮って終了。
 5分くらい手術室で横たわっていてからストレッチャーに 乗せ変えられ、さらに手術室前でベッドに移され、病室へ。 帰ってからも点滴は続く。麻酔が切れてきても鎖骨の両側の 関節や周囲の筋肉、それと傷口の縫い後が多少痛む程度で、 それ以外は極端な痛みは無く、きれいに塞がっているんだろう。 手術前の安定剤の注射の影響がまだ残っているのか 多少くらくらして眠いのと、血圧が結構低い(高いほうが 90mmHgだと言われた)というのがあったが、それ以外は快適。
 点滴は続く。そのうち先生がやって来て、「局部麻酔ですんだし、 いまやってる点滴が終わったら取っちゃいましょう。 そのあとは歩いてもいいですよ」とのこと。その後、点滴に 抗生物質の align=middle 小ボトルを追加 、30分ほどで終了。ボーッとしてると 知人がやってきた。まだ大ボトルの点滴は続いていたので 少々話をし、来たついでという事で align=middle 1枚撮ってもらった
 6時半ごろに点滴終了、針を外してもらってやっと食事、 通常食だったし術後でもあるので出来るだけゆっくり食べる。 食後、例によって同室2人の理解不能な会話がうるさかった こともあったし、ちょっと逃げるついでに電話をかけに行く。
 就寝後、例によってボケの入ったおばちゃんがちょっとうるさい。 耳栓をしていたがやっぱりうるさいので「静かにせんかね」などと 言ってみたものの効果無し。暫く無視していたらそのうち 看護婦さんがやってきてベッドごとおばさんをどこかに 連れだしてくれた。一日寝ていたせいか腰痛がひどかった事も あったしトイレにも行きたかったので、夜中に起きてうろうろ していると、ナースステーションにベッドが……。

4/18(TH)
 結局腰痛がひどくてあまり寝られず、朝方に看護婦さんを呼んで ベッドの背中の部分を少し起こしてもらい、やっと2時間ほど 眠ることができた。顔を洗い、髭を剃っていつもどおりに朝食、 今日はご飯メニュー。
 食後しばらくワープロ、午前9時すぎに点滴を始める。 30分足らずで終了。その後も本を読んだりワープロを打ったり していると、「部屋を変わりますので片づけておいて下さい」とのこと。 やっとばーちゃん二人の時間かまわぬ大声の話し声から開放される。 荷物をまとめて袋とサイドボードに入れ、11時ごろに 303号室へ移動、シーツや毛布は新しくなるのかと思ったら、 看護婦さんが枕も含めて全部かかえて移動してきた。
 今度の部屋では簡単な服を入れるところもあったりするので そこにジャケットを移したりして荷物を片づけていると同僚が スーツ姿で登場。ロビーへ行ってしばらくよた話。
 昼飯を食べてると会社で事務をやってくれてる女性二人が来てくれた。 バレー部からということでお菓子と、雑誌の差し入れ。 本はありがたいが、この大量の詰め合わせお菓子セット、 一人で食べたらたいへんなことになりそう。昼休みにちょっと 抜けてきたとのことで、ロビーで10分ほど話して帰っていった。
 午後1時半ごろにまたPC-VAN関係の知人が来てくれる。 「他に思いつかなくて……」といって出された差し入れの品は 日本酒の4合瓶(爆笑)。病院でこんなものをもらってどうしろと いうんだ。その後、お菓子などを食べるのを少しばかり手伝って もらいながら病室で30分ほどいろいろな話。 ペーパードライバーだそうで、移動にも不便だったろうに わざわざ見舞いにきてもらってありがたいことである。 快気祝いの宴会の約束の後、帰っていった。
 この後もワープロを打ったり本を読んだり。例によって点滴も 4時ごろから小さいボトルを1本。点滴のあとはなぜか必ず眠くなる。 夕食が終わったころにも数名が入れ替わり立ちかわりやってきてくれる。 またお菓子と雑誌が増えた。ロビーへ移動して話を続けて、 7時すぎにそれぞれ帰っていった。
 寝る前に自宅の留守電チェック、今頃になってISDNへの 切り換えに関して連絡が入ってる。時間的にどうしようも ないので翌日連絡ということにして、その後、手術終了の 報告もかねてあちこちに電話をかけて就寝。

4/19(Fr)
 部屋が変わってこれで少しは眠れるかと思いきや、 隣のおっさんがいびきとも寝言とも寝息ともつかん音を 一晩中立ててくれてかなり寝にくい。結局夜中に耳栓を出してお 世話になる羽目になった。ついでにこのおっさん、 朝方に寝返りを頻繁に打ってくれてその音も結構気になる。
 膝を手術しているにーちゃんも、寝苦しいのかしょっちゅう 寝返りを打ったり大きな息をしたりがちょっと耳につく。 しんどいのなら看護婦さんを呼べばいいのにと言おうと思ったが、 時間も時間だし(午前3時ごろ?)、とりあえず放置。 しばらくしてついにたまりかねたらしくナースコールを 押したようではある。手術の後、やたら腰がいたかったけど、 恐らく同じ状態になってたんだろうな。
 結局早朝から起きてしまう羽目になったが、どうせ睡眠時間は 足りているのだからと6時からベッドでワープロ打ち、 洗顔、食事のあとも続けて。9時半ごろから点滴が始まる。  昼前に親父と弟がやってきた。男同士ゆえに大して話す こともなく、すぐに帰っていった。
 昼飯、その後1時すぎにISDNの件でNTTに電話したが、 担当者が席にいないとのこと。「折り返し電話しましょうか」と 言われたが、ナースセンターにかけてもらうわけにもいかんので 後でまたかけることにする。
 2時半ごろ、同僚が雑誌を持ってやってきた。引っ越しなどの 都合で今日は休暇をとって、これから親元のほうへ帰るとのこと。 30分ほど部屋で話しをしながらお菓子を一部片づけてもらう。 途中で align=middle 看護婦さん が検温にやってきたので「食べる?」と聞いてみたがダイエット中と のことで断られてしまった。
 3時半ごろ、午後の点滴開始、ほどなくアパートの大家さんが やってきて点滴が終わるころまでいろいろな話をして帰っていった。 缶詰かなにかのような重たげな差し入れ(ゼリーの詰め合わせだった) と、 巻き寿司と「丸ごとバナナ」が2本、これを一人で食べろということか? よほど腹を減らしていると思われているに違いない。とりあえず 腐ると困るので「バナナ」のほうをさっさと片づける。晩飯が 食えなくなりそう……。
 点滴が終わってからNTTに電話。TAがまだ手に入ってないので 工事をそんなに急ぐわけでもないのだが、とりあえず今月末くらいに 作業をしてもらうという算段で、申込書などは担当者に 記入してもらって出すことにした。工事の日取りや作業の詳細などに ついては別途留守電のほうに連絡をしてもらい、DSUは自分で つなぐということにして後日NTTの窓口に取りにいくということで 話がついた。
 5時前に会社に電話、本業のほうは特に大きな問題も起きていない 模様。
 夕食後、また知人が来てくれる。詰め合わせのお菓子の一部を 持って帰ってもらい、ついでに小分けにし、小さい箱に入れて 回診に来た align=middle 看護婦さん にもおすそ分けをする。「本当は受け取っちゃいけないん ですけど……」とか言いながら、うれしそうに持っていった。 まぁ、食べもせずにカビの餌食にしてしまうよりは、こうして 喜んでもらうほうがよほどいい。
 9時就寝、やっぱり隣のオヤジのいびき・寝息がうるさい。 夜中に一度起きて耳栓着用。

4/20(Sa)
 5時前にいびきで起こされる。隣のベッドだけにどうしようもない、 耳栓もここまで来ると多少役不足。しばらくNHKを聞き、 6時からFM愛媛を聞きながらワープロ、6時半に朝の体温チェック などのための回診。
 洗顔、ゴミを多少片づけ、不要なものの持ち帰りと郵便受けの チェックを頼むために青野に電話。8時ちょっと前に青野が来てくれる。 鍵を渡して食事の盆を取りにいき、食べ、しばらくゴロゴロ していると青野が郵便物を持ってきてくれた。ダイレクトメールが2通、 NIFTYから1通。隣のおっさんから週刊誌を何冊かもらう。 あまり面白くない。留守番電話をチェック、一宮さんから1件。
 9時半前、「体を拭きまーす」ということで看護婦さん登場。 合わせて下着も変える。その後点滴。今日のはやたら早かったが、 針を外しにきた看護婦さん、「あまり早いと効かないんですよね……」。 おいおい、自分が針さして点滴速度をセットしたんだろうが。
 10時半ごろ、回診とガーゼ交換。若いほうの先生は私より 1学年上だそうな。自分で自分の傷口が見えないのはちょっと 悔しかったので、 align=middle ガーゼを張り替える前 に「ちょっと待って」と1枚。これも記念撮影だな。
 日曜日(明日)の受験の事を話し、外出できませんかと聞いて みる。回診が主治医の先生ではなかったのでその場は 「あとで連絡します」という事だったが、その後 OKとの連絡があったなった。意外にあっけなく外出できる 事になり、ちょっと拍子抜け。
 そのあと、頭を洗ってもらう。前回は仰向けでやってもらったが、 今回は椅子に座って頭を垂れる形。タオルで拭くのと ドライヤーは自前、出来ることは自分でやらねば。 2時になるかならないかのうちに宮内と前川がマンガの 単行本を袋いっぱい持ってやってきた。小説や雑誌の 文字ばかりもちょっと飽きたなぁと思っていたところで これは嬉しい。
 午後3時ちょっと前、知人夫妻がケーキを持って やってきて30分ほど話をする。点滴が始まったところで 二人は帰って行った。そのあとも数名が入れ替わり立ち変わりで 見舞に来てくれる。
 今日は向かいのじーさんが退院、となりのおっさんが 外泊してるのでそーとー静か。他の部屋で馬鹿話してるのが 聞こえるほどでちょっと寂しい(笑)。耳詮なし。

4/21(Su)
 午前5時すぎに目が覚める。とりあえずラジオを聞いて時間潰し。 午前6時すぎに回診。昨日あたりから平熱に下がっているので 検温は必要ないとのこと。婦長さんだったので「外出するんだけど 点滴はどうするんですかと」聞くと、今からやりましょうとのこと。 6時半から約20分。さすがに手慣れたもので、針を指すのも素早く、 痛みもほとんどなかった。感動もんである。
 7時半前、病院を出る。アパートまで10分弱、やっぱり左肩の ほうに鈍痛が時々走る。アパートに帰ってメールのチェック、 筆記具の準備、その後軽く食べて歩いて山西駅まで。
 この時間になると電車の本数が減ることをすっかり忘れていて、 15分よぶんに待たされることになりちょっと焦る。 電車は普通の休日の賑わいという感じ。あちこちで葉桜に なっているが、そういえば今年の桜は長かったなぁなどと 車窓から見える風景を見ながら考える。
 古町で市内電車に乗り換え、清水町から徒歩5分で会場の松山大学へ。 去年の秋の試験と会場は一緒、教室がちがうだけ。2種の試験が あるためか、女子高校生とおぼしき集団がやたらと目につく。 会社の同僚数名とも遭遇。
 午前の部、とりあえず30分前に終了。会場を出たところで 別の同僚と会い、二人で立ち話しているとPC-VANの知人に出会う。 同僚は手弁当だったので、この知人と一緒に近所のデイリーストアへ。 やたら寒くて風が強い。タンポポの綿毛を久しぶりに見た。
 午後I、計算する場所が多く、電卓を持っていなかったことが 悔やまれる。時間いっぱいやってみたが、何問か残してしまった。 午後IIは思いつくことをとにかく書きまくって時間だけは順当に終了、 30分前に退場。これは落ちたな。
 市内電車を使って大街道へ行き、DATテープとScotchのMD (74分5枚2480円)を買う。ZAURUSの携帯電話アダプタ買うべく ベスト電器へ行ったが、値段を見て align=middle あまりに高い ので買うのを断念(このあと、値下げした製品が発売されたらしい)。 市駅から電車に乗って山西まで戻り、アパートでメールのチェックを してFDに収め、そこいら辺にある物を適当に食べた後、車で病院へ戻る。 シフトする時に結構痛みが来る。マフラーが壊れているためか、 ちょっとうるさく感じる。
 車に積んであったPCを病室に持ち込み、メールの内容を チェックしようと思ったらバッテリーが完全放電していたようで 立ち上がらず。とりあえず充電器をつないだりOASYS で日記を 書いたりしていると看護婦さんがやってきて今日2本目の抗生物質の点滴。 となりのおっさん、姿が見えないからまだ帰ってないのかと思いきや、 ナイターを見ていたらしく消灯時間ぎりぎりで帰ってきて 相変わらずでかい声で喋ってる。これはいかんと思いながら 耳栓を準備、案の定いつもの寝言とも寝息ともいびきとも付かない 騒音で悩まされることとなった。

4/22(Mo)
 耳栓のおかげでとりあえずちゃんと眠れたが、いつもの睡眠時間が 6時間ちょっとなので9時すぎに寝たらどうしても4時に目が覚める。 とりあえず便所へ行き、隣の寝息に辟易しながらもう一眠りしようと したがウトウトしただけ。結局6時前にPCを持ってロビーへ行き、 しばらくメール読み。洗顔して髭を剃り、しばらく日記を書いたり 電話をしたりていたら食事の連絡、今日は調子もいいので同室の 足を怪我している人の分も盆を運ぶ。隣のおっさんがテレビを つけてるが、ちょっとボリュームが大きくて耳障り。
 9時すぎにそろそろ点滴が始まるぞと思って便所へ行こうとしたら 掃除中、部屋に戻るとタイミングよく点滴開始、20分ほど。 今日はレントゲン撮影もあるそうな。その後、10時半ごろに ワックスがけをするとのことで部屋を追いだされたのでOASYS と ラジオを持ってロビーへ。会社に電話、特に変わったこともなし。
 通信をしたいので、済生会病院の近辺にISDN電話がないかとNTT に問い合わせてみたが、
     116 ->マルチメディアプロジェクト -> 愛媛支店の公衆電話課
とたらい回しにされた挙げ句、5分近く待たされたので 途中で電話を切ってしまった。まぁ、この近辺にはISDN電話は ないということだろう。その後ロビーで日記の書き足しなどをする。 部屋にいるのが詰まらないのか、若いのから老齢の人まで 女性が何人か集まってずっと話をしている。
 昼食、同室の人の盆も運ぶ。両手を使っても何とか大丈夫そう。 昼前に向かいのベッドに人がはいった。どうやらギックリ腰らしい。 昼食後、ベッドできりひと讃歌などを読んでいると「レントゲンを 撮りにいってください」という呼び出し。1階に行って例によって 2枚撮影したあと、階段のところで主治医の先生に会う。 「早く帰りたいですか?」「えぇ、出来れば」「今日のレントゲンの 結果を見てから判断しますから」とのこと。
 レントゲンが終わって部屋に帰ると間もなく、向かいの人が 看護婦さん総出で牽引付きのベッドに移され、腰のあたりにベルトを つけて引っ張るようなことをされている。1時間ほどあの体勢だとか、 ぎっくり腰も大変だろうな。しばらくやる事もなくロビーで メールを見たり日記を書いたり。
 回診が始まったようなので部屋に帰って待機。レントゲンを見て 看護婦さんまでが「骨が太いねぇ」。ガーゼを交換し、明日退院 OKとなる。ただし、抜糸するまでは一日おきのガーゼ交換のために 通院と化膿防止の飲み薬が必要、また補助のためのバックパックの 袋無しのようなベルトもあと1ヵ月くらいは着用しておくように とのこと。酒は構わないが痛みを忘れたりするほどの暴飲暴食は 厳に慎むようにとのお達し。明日は昼食が終わってからの退院となる。
 回診後に点滴、これが最後。別の看護婦さんが化膿止めの抗生物質と 称して飲み薬を持ってくる。明日からは点滴無しで飲み薬だけに なるそうな。点滴後は例によってロビーに行ってワープロで日記書き。 他の人の看護に来ていたおっちゃんとワープロの話からパソコンやゲーム、 果ては日本の町工場の話にまでなってしばらくの時間潰しになった。 とはいっても、私が一方的に話していただけのような気もするが。
 夕食後に知人が数名見舞に来てくれる。皆が帰ったあとで親元に 退院することと連休中には帰れないことを伝える。長距離の移動は 辛い。
 9時消灯、就寝。となりのおっさん、今日は静かだと思っていたら、 何やら夜中に食べたりしている様子。飲食は別段構わないが、 何にしても夜中のこと、もう少し静かにやってくれないものか、ブツブツ……。

4/23(Tu)
 4時半に目が醒める。隣から聞こえる寝息はやはりうるさい。 便所へ行き、ラジオを聞きながらもう一度うとうと、今日は 耳栓無しでなんとかなった。6時起床、なんかやたら腹がへっているので お茶を汲みにいってお菓子を少々片づける。やっと箱が空いた。 ワープロを打っていたら回診、看護婦さんに「朝からすごいですねぇ」と 言われたが、何がすごいというのやら、私にとっては当たりまえの 事なんだが。
 顔を洗い、髭を剃ってベッドに戻ってボーッとしていると 食事の連絡、今日はパン。夏みかんらしきものが入っていたが、 かなり乾いて皮がカチカチになっていて食べにくい。ナイフまで 出してなんとか食べたが、年寄りや手先の不自由な人はさぞ 食べにくかったに違いない。
 食後しばらくゴロゴロしていたが、それもダレるので着替えて 荷物の片付けを開始。持っていけるものを車に運び、上がってきた ところで婦長さんに出会い、「病人には見えんねぇ(笑)」。 まぁ、所詮は怪我人ですからね。
 ひととおり片づけおわったところで昼までベッドで寝てしまう。 明日からはこういう怠惰な生活もできなくなると思うと早目の退院は ちょっと惜しい気もするが、ベッドで寝たきりでボケていく ご老体各位を見るにつけ多少不自由でも四肢が動くなら働いてこそ 人間だろうとも思うし、何よりこんなに怠惰な生活をこのまま続けていたら 自分がボケてしまいそうで怖い。病院暮らしなんて決して 長く続けるものじゃないと感じた入院であったようにも思う。
 一眠りして目が醒めたらちょうど昼時、昼飯を食べて 最後の荷物を車へ運び、ナースセンターに挨拶をし、 25,000円あまりの会計を済ませ、これで晴れて退院。不自由ながら やっと日常に戻ってきた。
 そのまま会社へ行くのももったいないようないい天気だったので、 ちょっといつものバイク屋へ顔を出して退院の報告などをし、 車の部品卸へ行ってマフラーを注文、その後出社。

−−−−− その後

4/24(We)
 ガーゼ交換のため通院、8時すぎに受付をしてとれた順番が13番、 かなり長く待たされたが処置は5分ほどで終了し、会計も含めて 10時まえに終了。金曜日と土曜日に分けて抜糸(というより ホッチキスの針外し)をすることになる。そのあと知人宅で 今回の顛末などをQV-10の画像を見せて話したりしながら 髪を切ってもらい(知人宅は美容院)、車のマフラーを取りにいく。 午前休暇を取っていたが、すっかり遅くなったので交換はまた後日。
病院で100円、マフラーとガスケットで15,000円ほど。

4/26(Fr)
 ガーゼ交換、今日はちょっと出遅れた&徒歩だったということで順番は26番。 針を半分だけ抜くという事になっていたのだが、 「もう、全部抜いちゃいましょう」という事になり、今日抜糸完了。 どれほど痛いのかと身構えたりしてたのだが、安易すぎてちょっと拍子抜け。

そして現在、サポーターはしたままだけど日常生活にはほとんど 支障が無いくらいの状態にまで戻っています。


おまけ画像。
996.6.1.  (c)おーうち